13-8.鉛同位対比が銅鐸の型式別の 年代を解き明かした
13-8.鉛同位対比が銅鐸の型式別の年代を解き明かした
銅鐸は集落や墳墓から出土することはまれで、集落のはずれや丘陵の斜面から出土することが多い。銅鐸が土器や遺物と共伴することが非常に少ないため、その年代を割り出すのが非常に難しい青銅器である。銅鐸の型式別の鉛同位体分布図を見ていて、特に私が興味を持ったのは、銅鐸の鉛同位体分布のバラツキ(直線帯の長さ)が古い型式の銅鐸ほど大きく(直線帯が長く)新しい型式のものが小さく(直線帯が短く)なり、最も新しいものでは点になることであった。この変化は青銅武器(剣・矛・戈)の型式別の鉛同位体比のバラツキと同じである。銅鐸の鉛の産地は青銅武器と同じ中国遼寧省の鴨緑江河口の丹東に近い青城青城子鉱山であり、このバラツキの大きさは製煉・鋳造技術によって変化じたと考えられる。
バラツキの大きさは統計学では標準偏差(σ:シグマ)で現される。バラツキの度合いを比較するために、分布の外れ値(平均値+3σ以上・-3σ以下)を取り除いた後の、鉛同位体比Pb207/Pb206の標準偏差を求めた。細形青銅武器・中細形青銅武器と菱環紐式・外縁紐1式が同じ小数点2桁のバラツキであり、出雲の荒神谷遺跡の中細形銅剣・中広形青銅武器と外縁紐2式・扁平紐式・突線紐1式・2式が同じ小数点3桁のバラツキで、広形青銅武器と突線紐3式が同じで小数点4桁のバラツキである。これは、鉛同位体比を研究されている学者も見つけていない考古学上の大発見と思っている。
「1-5.弥生時代の考古学「甕棺の編年」」で、…